【元女子プロレスラー・ブル中野さんインタビュー】理想と現実のギャップをどう乗り越える?「夢を追いかけることの大切さ」

ブル中野さん

元女子プロレスラーとして大活躍、現在は美魔女としても有名なブル中野さんへインタビューさせていただきました。

「すべて思い通り」

…そんな、理想の人生を過ごせる人間の割合とは、社会全体の何%でしょうか?

調べようもありませんが、限りなく0%に近い数字であると予想されるでしょう。それだけ、人が思い通りに生きるということは困難であると私たちは知っています。

「理想と現実のギャップ」 私たちが抱える多くの悩みは、この言葉に集約されているかのようです。

壮絶な下積み時代。理想とは遠い、悪役の道

元女子プロレスラーのブル中野さん(以下、ブルさん)は、WWF世界女子ヘビー級王座、WWWA世界ヘビー級王座などのタイトルを獲得し、国内、国外で大活躍しました。女子プロレスが人気絶頂だった時代に頂点を極めたブルさんは、いつしか「女帝」と呼ばれ、伝説のレスラーとなっていったのです。

そんな輝かしい実績を誇るブルさんも、「困難な人生を自ら選び、歩んで来た者の一人」。

今回は「理想と現実のギャップを乗り越える方法」をテーマに、ブルさんには半生を振り返っていただきながら、色々なお話しをお聞きしたいと思います。

ブルさん、本日はよろしくお願いします

はい、よろしくお願いします!

ブル中野さん後ろ姿

「ブル中野」といえば女子プロレス界を代表する伝説のレスラーというイメージですが、そこまで登りつめるのに辛いことも多かったと聞きます。特に苦労したことはなんでしょうか

私はもともとベビーフェイス(善役)をやりたかったのですが、所属していた団体の意向でヒールレスラー(悪役)をやることになったんです。今となってはヒールにもスポットライトがあたる時代になりましたが、当時のプロレス界におけるヒールはただの「引き立て役」。

最後にベルトを巻くのはベビーフェイスの役目で、メインイベントでヒールが勝つことなんて許されない時代だったんです。頂点を目指すためにプロレス界に入った15歳の私に、突きつけられた現実は甘くなかったですね。

いきなり理想と現実のギャップが襲いかかったわけですね。「ヒールなんてやりたくない!」とは言えなかったんでしょうか?

言えるわけありませんよ!

新人レスラーなんて、まず「人間扱い」されないんです。口ごたえは許されないし、言われたことは絶対にやるしかない。

当時の女子プロレスラーは女子中高生からの人気が凄かったんですけど、支持されるのはいつもベビーフェイスでしたね。宝塚歌劇団とかの影響もあったかも知れませんが、中世的な見た目のレスラーが絶大な人気を誇っていました。

一方、私たちは憎まれ役。グッズなんてほとんど売れないし、団体(全日本女子プロレス)の偉い人には「お前たちは人気レスラーになろうなんて思うな」って言われて(笑)

ブル中野さんの笑顔

めちゃめちゃ明るく話してくださってますが、すごく悲惨な話ですよね!? その所属していた団体も今でいう「ブラック企業」みたいな

もう、完全にブラック企業でしたよ(笑) 業界的には当たり前のことだったかも知れませんが。

私がサラリーマンだとしたら、上司となるのがダンプ松本さんやクレーン・ユウさんという先輩レスラーなんですけど、毎日殴られてました。普通に顔面とか。

巡業中のある日、ダンプさんから「ヒールレスラーとしての覚悟が足りない」と言われ、いきなり髪の毛をバリカンで削ぎ落とされたんです。しかも、半分だけ(笑) 半人前だから、半分で良いやって言われて……

その日の夜は大号泣しましたね。基本的に毎日、泣いていましたけど。

ヒールレスラーとして生きる覚悟を決めた理由

ブル中野さん横顔

そんな辛い目にあって、やりたくないヒールレスラーを続けることができたのは、どうしてなんでしょうか

うーん。私の場合、「プロレスを愛していたから」という答えが一番ですかね。

これが一般的な会社だったら、辞めるとか、転職とか色々な選択肢があったと思うんですけど、当時は全日本女子プロレス以外に団体が無かったものですから。そこを辞めるということはつまり、「プロレスラーの夢を諦める」ということ。それは考えられなかった。

それに、いくら辛いといっても、慣れると平気なんです。毎日のように殴られていると痛みも恐怖も感じなくなる。これ、本当の話なんですよ。

最初はヒールレスラーになったなんて、親にも言えなかったんです。でも、ダンプさんに髪の毛を落とされたときに覚悟が決まった。この世界で生きて、絶対に頂点に立つ。そのためには自分が変わらないといけないし、周りの環境も変えないといけない。

私が本当の意味でプロレスラーになれたのは、この瞬間だったと思います。

覚悟が人を変えた、と。業界の風習という壁を乗り越えて、環境を変えようと思ったのは素晴らしいですね。

とにかく、プロレスを見にきてくれたお客さんをどうやって沸かせようか、どうやって満足させようか、と考えていました。

業界の古い習わしや常識なんて壊した方が良いと思ってましたね。だって、お客さんが喜んでくれるなら、別にヒールレスラーが勝ったっていいし、ベルトを巻いたっていいですよね?

そう信じながら試合を重ねるうちに、お客さんから「悪役なのに、良い試合するじゃん」って言われるようになって。徐々に人気が出てきたんです。

やがて私たちヒールレスラーが多くのファンから支持されるようになり、ついには悪役同士でタイトルマッチやメインイベントが組まれるようになったんです! 業界的には前代未聞の出来事だったと思います。

ブル中野さんの手

女帝、ブル中野の誕生ですね。まさにヒールレスラーが起こした革命だと思います。ブルさんがそこまで頑張れたのってどうしてですか。支えてくれた人がいるとか、尊敬する人がいたとか?

それが、一切いないんですよ。私、尊敬している先輩とかいないんです。

ダンプさん達はヒールレスラーとして試合を魅せる技術は素晴らしかったですが、私とは考え方が合わなかった。団体の偉い人たちもそうだけど、みんな、ヒールレスラーの扱いや環境を変えようとは思っていなかったんです。ならば、それを反面教師にしようと思って。

当然、相談できる人もいない、わかってくれる人もいない。でも、私にとってはそれが良かったんだと思います。人のせいにしないで、最終的な判断を自分ですべて出来るようになる。

「環境のせいで思い通りにならないなら、自らの力で環境を変えてしまえばいい」と、自然とそういうマインドになっていきましたから。

ブル中野さんの爆笑

やっぱり、ブルさんってすごいですよね。普通はこういう時、「辛いこともあったけど、先輩達のおかげで今の自分がある」とか言いそうなものですが。尊敬できる先輩はいない、と。

あはははは(爆笑) 本当、普通はそうですよね!

もちろん、反面教師にしているとはいえ、ダンプさん達がいなかったら今の私はいないと思います。思えば、私はヒールレスラーになってラッキーでした。当時はヒールレスラーの数自体が少なかったので、すごく目立つ存在になれたんですよね。そういう意味ではダンプさんに感謝してます。

プロレス引退後もゴルフへ挑戦したり、壮絶なダイエットに挑戦したりしましたよね。胃を切除してからのリハビリとか大変だったと思いますが、何が支えになっていましたか

3ヶ月で50kg、痩せたんですよ!

ダイエット中はかなり辛い思いもしましたけど、あのプロレスラーの新人時代のことを思えば「あれより辛いことはない」と頑張れたんですよ。それが支えになったかもしれません。

ゴルフをやっていた時も、最初は「ブル中野」として周りから注目されるのがプレッシャーになってしまって、練習も満足にできずに苦労しました。「ブル中野のイメージを壊したくない、カッコ悪い姿を見せたくない」とか、そんなことばっかり考えていたんですけど…

実際にブル中野のプロレスラー以外の姿、色んな自分を見せていく内に、仮面が外れたんですよね。そこから、人と人との自然な会話ができるようになった。ゴルフのおかげで、コミュニケーション能力がだいぶ養われたんです。

自然な笑顔のブル中野さん

なるほど。今回、「理想と現実のギャップをどうやって乗り越えるか」というテーマで話をお聞きしたのですが、世の中の人がみんな、ブルさんのように強くはなれないと思うんです。悩んでいる方にアドバイスするとしたら、どんなことを伝えたいですか

そうでしたね、理想と現実のギャップをどうやって乗り越えるか。自分が希望していた仕事に就けないとか、やりたくないことをさせられてガックリしているとか、そういう時に考えることですよね。

…今が辛いと感じている方に、私の言葉が届くかどうかはわからないのですが

「過ぎ去った後じゃないとわからないことがある」と思うんです。

例えば私は現在、中野でバーを営んでいるのですが、プロレスやゴルフをしたことで自然と身についた能力がとても役に立っているんです。

ダンプさんに連れ回されたことで私はお酒の飲み方を覚えたし、肝臓が鍛えられた。ゴルフをやっていたおかげで会話が上手になった。それと、「プロレスラー時代の感覚」が今のサービス業にとても活かされているんです。

プロレスのチケットを3000円で買って観に来てくれたお客さんが、2900円分の価値しか感じなければ、そのお客さんは二度と足を運んでくれない。3000円分の価値しか感じなかったら、次も来てくれるかどうかは五分五分です。

だけど、3100円分の価値を感じてくれたなら、次も来てくれるんですよ! だから、私がそれだけ価値のあるパフォーマンス、サービスができるように心がければ良いんです。これはプロレスでもバーでも同じことだと思うんですよね。

自分でも気がつかない内に、過去の色んな体験が人生の糧になっているんですね!

本当にそう思います!

確かに今は辛いかもしれない。やりたくないことをやっているかもしれない。理想と現実のギャップに悩んでいるかもしれない。でも、人生に無駄な時間なんて無いんです。どんなに苦しいことでも、目標を持ってやり続けたら身につくものがきっとあるはず。

これまでの私の人生を振り返ると、一番幸せだった時って「プロレスでトップに立った瞬間」じゃないんですよ。先輩たちに殴られて、蹴られて、娯楽もなくて、貧乏で、悪役として試合に出て、毎日のように泣いていた、あの日々。あの新人レスラー時代こそが、私の人生において一番、幸せで輝いていた時なんです。

それはなぜかというと、「夢を追いかけていたから」。

自分の夢を叶えるために必要なことだから、どんなことでも頑張れると思うんですよね。どんな環境でも、どんな仕事でも。理想と現実のギャップを乗り越えるって、そういう要素が大切なんじゃないですかね。

とても参考になりました。本日はありがとうございました!

まとめ

ブル中野さんのインタビューまとめ

インタビュー中、終始、明るく笑顔でお話をしてくださったブル中野さん。決して、楽な人生を歩んで来たわけではないはずなのですが、なぜか過去の話をするブルさんは楽しそうでした。

おそらく、その理由はブルさんの言葉の通りなのでしょう。一番辛くて苦しかった時が、夢を追いかけていた一番幸せな時だったから。その時のことを今でも鮮明に思い出せるブルさんのことが、とても羨ましいと思いました。

私たちが人生において悩む、理想と現実のギャップを乗り越える方法。そのヒントは「夢を追いかけること」にあるようです。ブルさんの話を聞いて、私も大切なことに気がつけたような気がします。

辛くても、苦しくても、夢を叶えるためなら人は頑張れる。人が生きるということは、本質的には夢を追い続けることなのかも知れませんね!

仕事や勉強が辛いと思った時、ぜひ、皆さんに考えて欲しいと思います。あなたがやっていることは、夢を叶えることに繋がっていますか?

<取材/文 竹内紳也>
<写真 八木あゆみ>